今という瞬間に

自分で「あぁ、あの時は楽しかった!」と言えない時というのは、何らかの期待があってその通りに出来なかったからです。

自分は神ででは無いから楽しめないというわけです。

神は何ら期待せず、ゆえに、することのすべてが一瞬、一瞬、新鮮で、自由で・・・そうなったら楽しいでしょう?私はそう思うけど。

神々は楽しみ以外の事をするのを知らないのです。それがあなたの解釈でしょう。

人生の毎日すべてが楽しみでないのなら、それは自分が沿えない期待があったからです。楽しくないのは自分の責任です。

期待を持たなければ、毎日、毎瞬が新しい体験になるでしょう。あなたには好奇心があるからです。

五分後に何があるかわからないし、それはどうでもいいと思うでしょう。何故なら、五分後にはそれが分かるのですから。

それよりも、この一瞬のほうが余程大切であり、あなたはたった今ここにとどまり、永遠の現在に生きるのです。

今という一瞬にいるのなら、何の問題も持ちえません。現在にあるのなら、痛みもないでしょう。

痛みとはその前の瞬間から遅れて持ち超されるものだからです。

現在にいれば、苦しみというものも全く持ちえません。何ら縛るものも、しがらみもありません。

すると究極の無限の自由をありったけ手に入れることになるのです。

何の先入観も「後入観」もなしに、毎瞬、毎瞬を生ききることができたら・・・それは喜びです。

あなたは、それ以外何一つ期待していなかったから、それ以外ありえません。痛みも何も全くないのです。

                                               シェラドン・ブライス著 「宇宙を乗りこなす喜び」より