瞬間を生きる

たった今ここに、「降参」と言う名の橋があります。

それは自分自身である事であり、誰もが、その橋を架けなくてはなりません。

誰もが、安全さを手放すのを恐れ、自分は決して自分自身になれないという思いを手放しません。

そして、宇宙的な自分にはならないのです。

あなたの宇宙的な部分は、宇宙を作り、星を作り、太陽を作り、そのすべてを作り、そして破壊することもできるのです。

それは人という種を作り、また地上のすべての食べ物を創ったのに、あなたの食卓に食べ物をのせる事は知らないというのですか?

物事を整理したり、準備したりは皆できるのに、まだソースになることを学んでいません。

同時にそれら3つのもの、つまりソース(太源)、セルフ(自己)、クリエーター(創造者)ではなくてはならないのです。

クリエーターの部分はかなり良くやっています。

でも、セルフ、ソースはまだまだ発達させる余地があります。ソースは瞬間、瞬間に生きます。

今や、あなたはそれにくっつける個性を持っており、それがその瞬間であり、それは組織できません。

未来を形成しないよう、とりわけ自発的である事を学ばなくてはいけません。

それが真の自由からあなたを切り離しているズレなのです。

それは降参と呼ばれます。そうできるようになるまでは、心配があなたをどこまでも支配するでしょう。

そうした問題というのは、クリエーターの物であり、クリエーターがこうした細々とした分子をどうやって一緒にするかを決めなくてはなりません。

それがクリエーターの仕事なのです。ソースは「はい。私は愛します。生命を愛します。」それだけです。

あなた方はこの3つになるべくいて学んでいるところなのです。一切の期待を持たずに、この宇宙全体を創った部分が、あなたの面倒を見てくれるだろうと任せられるほどに、生命を十分に愛することを学んでいるのです。

それは「姿勢」という一つの橋であります。内なる姿勢はシフトし、橋が架かり、あなたは生きた実存となるのです。

瞬間に過去と未来を完全に手放すという事を学ぶ必要があります。そのことを学ぶまでは、何一つ現象化できないでしょう。

過去と未来を手放し、今にいる事、その瞬間は生命そのものであり、その瞬間を自分のクリエーターの部分に入れて現象化するのです。

自分を存在に至らしめるほどに愛するとは、瞬間を生きるという事です。それだけです。

愛を見出すであろう唯一の場所、それはその瞬間だけなのです。

                                       シェラドン・ブライス著「宇宙を乗りこなす喜び」より